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コロナ禍を経た未来とは?(03)

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モンスターキャット、ロディラデュスの出現で、ネズミの王国は全滅の危機に!

さあ、君も僕も王国のネズミだ!

他人事ではない!

この危機、どう乗り切る?

さて、前回紹介したのは「不利益の分有」という共存の仕方。

志あるものは、大衆に堕してはいけません、ゼロリスクで権利を主張するのが大衆。

コロナ渦中でも認められますよね?権利を主張する大衆。彼らは、そのような主張によって自ら首を絞めるのです。

他のグッドアプローチを見てみましょう。

「ロディラデュスとも付き合っていくには?」

こんな問い直しができますね。

そのためには、「人間」という第三の要素を介入させる。

コロナに対しても、同じようなアプローチはできそうです。「人間vsコロナウィルス」ではなく、ここに第三のファクターを加える。

そうすることで、事態は相克の関係ではなく、循環の関係へと変化するでしょう。

他のアプローチは?

「リーダー」「導く者」を見直してみましょう。

会議に出ていた者たちは、結局、国民たちを導くことはできませんでした。

それでいいんです。だって、ロディラデュス出現前と後では、状況は一変しているのですから。

これまでのリーダーは、その状況にあったものだったのでしょう。

これからのリーダーは?まだ現れてはいません。

おそらく、「自分こそリーダー!」と挙手したネズミではなく、「導かれしネズミ」たちがリーダーになっていくのではないでしょうか。

「進化」について見直すこともできます。

この災厄は、ネズミの進化を促す。

先輩は先輩の役割、後輩は後輩の役割があります。それぞれの役割を全うすることで、習慣的にそうであったものとは違うものに、次世代は変化するでしょう。

ロディラデュスの災厄は、自然の作用。そう把えることはできますよね。

「淘汰」も同じように、自然の作用と言えるでしょう。ここに人為が混入すると、たちまち「選別」「排除」につながりますよね。

最後に、「平等」も見直すことができます。

平等の前提には限界があります。もちろん、平等を獲得するためのプロセスは大事でした。見直しは、奴隷・身分制度を肯定するのではありません。

むしろ、価値観の変容が迫られるのです。

個人の平等という価値観から、志の共有という価値観への変容。その中で、「個人」という一元的価値から、「個人」を含めた多様な価値の共有に繋がることでしょう。

『ペスト』を読み解き、ポスト・コロナの人間を学び合う会に参加してみませんか?


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会場は、広尾のお寺、香林院さん。

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