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「迷いをなくそうとしない」から始めませんか? 04

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選択肢のどれにも、正当な理由がある。

そんな選択肢から一つしか選べない。

だから迷う。

食事だって、好きなものをいくつも選べたらいいのに。おもちゃだって、買いたいもの全部買えたらいいのに。

もしかしたら、そんな人もいるかもしれません。

いろんなアドバイスがあることでしょう。

僕も、迷いの相談を受けましたら、なんとか支えられるよう力を尽くします。とはいえ、最終的には「分からない」が本当のところ。

誰も人の迷いを請け負うことはできないんです。

あの人生もこの人生も、選択肢すべて選べたらいいのに。なんて虫のいいことは言えません。

ある程度、仕事の要領と容量は変えられますが、一個の身体を持つ人間であることを忘れてはいけませんよね。

身体は一つだけ。同じく人生は一つだけ一度きり。なんです。

こんな人生の迷いにこそ、迷いの本質が認められるはずです。

一意専心、一つの道を全うした職人さんでも、結果として「一つの道」だったとしても、迷いはあったはずです。

僕の大学時代の仲間はどうでしょう。医学部をやめてしまった僕以外は、みんな医者をしています。でも、みんな迷っていますよ。地位も年収も、羨ましいものなのに、ねぇ。

「道は一つ」。

「私も一人」。

ここをすっきり認めてしまいましょう。

そんな私達には、初めから「一つの道」が用意されていたのではないんです。

むしろ、迷わずに出した答えが、どうにも身にそぐわなかったことはありませんか?

例えば、服、なんてどうでしょう?

もちろん、迷って選んだ服が、身にふさわしくなかったこともあるでしょう。

インターネット上で見る服。素晴らしく魅力的なものに見えますが、本当に自分に似合うのでしょうか?

実際の店舗でも同じですよね。

どれだけ店員さんが「かっこいいです!」とか「可愛いです!」とか、あまつさえ「お似合いです!」とビッグスマイルでおすすめされた服が、実際帰宅してきたら「全然似合わねえじゃん!」なんてこと、ありますよね。

でも、迷って出した服には、「迷った」という価値があるのです。「迷い」というのは、出会いのプロセスと言い換えられませんか?

ちゃんと迷ってみませんか?手探り足探り身探りで、ちゃんと迷ってみませんか?

そうすることで、自分に似合う服が決まってくるのです。

迷いについて、前回の不純物を取り除くには?

の答えです。

自分のペースで迷っていきましょう。

「迷い」は身体的なものなのです。迷いを無理に振り切ろうとして、自分に似合わない速度で走ったり、足が震える高さから飛び出せば、怪我をしてしまいます。

焦らずに、自分のペースで迷っていきましょう。

それが、服でいうところの「自分のサイズ」ですし、「自分に似合うもの」につながるのです。

自分のサイズに合わないものたち、それが不純物になります。

自分のサイズに合わせられたら、あとはもう楽じゃないですか?

最後のアドバイスです。

迷いの中で出会っていきましょう。その出会いによって自分が生かされている事に、ようやく気づけるのです。

初めから用意されている一つの道には、感謝は生まれません。うろうろするから思わぬ邂逅があり、迷いの中でこそ、自分が生かされている、支えられている事に気付かされるのです。

迷ってない。

そのほうが危険だと思います。

迷っている。

それが健康な証拠なんですよ。