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「不安に抗うな」アランの思想紹介 2

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さて、そもそも不安とは、自分の身辺(生活)という範囲内で引き起こされるものであった。つまり「わからない」ということも身の程を過ぎないものであった。

だから不安というものとも、「いずれどうにかなる」という姿勢で付き合うことができた。

現代は「身の程」が侵食されている。

例えば、社会的な文脈では、自由という言葉には、その裏側に「自己責任」がセットされている。何をしても自由だが、その責任は自分でとらなければならない。誰も責任を肩代わりしてくれない。選択の全ての責任は自分一人で持て。

この選択において「やりがい」と「安定」で現代人は葛藤する。

やりがいにはリスクがあり、安定を選べばやりがいを諦めるしかない。

芸能人をはじめとするメディアで紹介される人物たちは、明らかに「やりがい」のモデルとなっている。

だが、この「やりがい」ほど厄介なものはない。なぜなら、他人からの視線と期待を背負うことになるからだ。

周囲の視線など、自分自身で制御できるものではない。期待についても、現代は身の程を過ぎたものなっているのは、一目瞭然だ。にも関わらず、「やりがい」モデルに服すれば、他人からの視線と期待を全て自己責任で対処しなければならない。

真面目な人間ほど不安を重く深くしてしまうのは、「身の程」が侵食されている背景がある。

第三回に続きます。

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