選択肢のどれにも、正当な理由がある。
そんな選択肢から一つしか選べない。
だから迷う。
食事だって、好きなものをいくつも選べたらいいのに。おもちゃだって、買いたいもの全部買えたらいいのに。
もしかしたら、そんな人もいるかもしれません。
いろんなアドバイスがあることでしょう。
僕も、迷いの相談を受けましたら、なんとか支えられるよう力を尽くします。とはいえ、最終的には「分からない」が本当のところ。
誰も人の迷いを請け負うことはできないんです。
あの人生もこの人生も、選択肢すべて選べたらいいのに。なんて虫のいいことは言えません。
ある程度、仕事の要領と容量は変えられますが、一個の身体を持つ人間であることを忘れてはいけませんよね。
身体は一つだけ。同じく人生は一つだけ一度きり。なんです。
こんな人生の迷いにこそ、迷いの本質が認められるはずです。
一意専心、一つの道を全うした職人さんでも、結果として「一つの道」だったとしても、迷いはあったはずです。
僕の大学時代の仲間はどうでしょう。医学部をやめてしまった僕以外は、みんな医者をしています。でも、みんな迷っていますよ。地位も年収も、羨ましいものなのに、ねぇ。
「道は一つ」。
「私も一人」。
ここをすっきり認めてしまいましょう。
そんな私達には、初めから「一つの道」が用意されていたのではないんです。
むしろ、迷わずに出した答えが、どうにも身にそぐわなかったことはありませんか?
例えば、服、なんてどうでしょう?
もちろん、迷って選んだ服が、身にふさわしくなかったこともあるでしょう。
インターネット上で見る服。素晴らしく魅力的なものに見えますが、本当に自分に似合うのでしょうか?
実際の店舗でも同じですよね。
どれだけ店員さんが「かっこいいです!」とか「可愛いです!」とか、あまつさえ「お似合いです!」とビッグスマイルでおすすめされた服が、実際帰宅してきたら「全然似合わねえじゃん!」なんてこと、ありますよね。
でも、迷って出した服には、「迷った」という価値があるのです。「迷い」というのは、出会いのプロセスと言い換えられませんか?
ちゃんと迷ってみませんか?手探り足探り身探りで、ちゃんと迷ってみませんか?
そうすることで、自分に似合う服が決まってくるのです。
迷いについて、前回の不純物を取り除くには?
の答えです。
自分のペースで迷っていきましょう。
「迷い」は身体的なものなのです。迷いを無理に振り切ろうとして、自分に似合わない速度で走ったり、足が震える高さから飛び出せば、怪我をしてしまいます。
焦らずに、自分のペースで迷っていきましょう。
それが、服でいうところの「自分のサイズ」ですし、「自分に似合うもの」につながるのです。
自分のサイズに合わないものたち、それが不純物になります。
自分のサイズに合わせられたら、あとはもう楽じゃないですか?
最後のアドバイスです。
迷いの中で出会っていきましょう。その出会いによって自分が生かされている事に、ようやく気づけるのです。
初めから用意されている一つの道には、感謝は生まれません。うろうろするから思わぬ邂逅があり、迷いの中でこそ、自分が生かされている、支えられている事に気付かされるのです。