昨日に続いて、なぜ「書く」より「ネタ」が大切なのかのお話しです。
作文には型がある。詰まるところ、その型通りに書けば上出来なのですが、そうは問屋が下さない。
つまり、型に当てはめるネタがないのです。しかも日本の子どもたちは、「書きさない」と強いられるのですが、「ネタを見せなさい」とは指導されない。
例えば『桃太郎』が課題文になっているとしましょう。
従来のやり方では、ラストまで読んで、主人公に注目して、主人公の行為について感想を述べなければならない。そんなやり方だから、「ぼくも弱い者を助ける桃太郎のような人間になりたい」なんて、揃いも揃って同じ締めくくりになってしまうのです。
でも「ネタを探す」という発想に変えるとどうでしょう?
そもそも、「なんで桃なの?」と、1文字も読んでなくても発見できてしまうのです。そこから、「桃」以外の可能性を考えたり、桃の意味や歴史を調べたりすることが始まるのです。
すると、1文字も読まなくても、かなり面白い作文が、あれよあれよといつの間にかできてしまうのです。
それでいい!
それがいいのです。
だから、作文堂では、参加者たちとお宝探しゲームをします。ゲームのように楽しみながら授業を進めていきます。
例えば、「登場人物を探してみましょう」というゲームをします。あるいは「面白いセリフを探してみましょう」など。
少しレベルを上げると、「役割を探してみましょう」や「筆者の考えを探してみましょう」となります。
さらにここから抽象度を上げて、勇気を探したり、喜びや悲しみを探したり、幸せを探したりします。ここまでくると、作文のテーマとしては十二分のレベルに到達します。
さて、作文堂が「なぜ書かなくてもいいのか?」の答えはもうお分かりですね。
書くネタもないのに「書け!」と言われるのは、無理というものです。
作文堂は、港区三田、鎌倉、そして三浦市で始まっています。あなたもどうですか?
え?こどもじゃないって?作文堂には、おじいちゃんおばあちゃんも参加しているのですよ。
