2020年のお正月。どんなお正月でしたか?「一年の計は元旦にあり」ってことで、みなさんも今年の抱負を書かれたかもしれませんね。

「は?一年の計?なんなの新型ウィルスって?ぜんぶオシャカなんだけど!いつまで続くの、この状況!」
おっとと。それ、わたしも……。元旦に立てた計はすべて白紙になりました。
ところで、一つうかがいます。「恐怖と不安、果たしてどっちがやっかいでしょう?」
あなたが恐怖するものはなんですか?高所?暗所?ぼくには、奥さんに恐怖する知人がいます。あるいは虫(台所に出没する、黒光りするアイツ)とか?
じゃあ、不安は?
真っ暗闇に放り出されたとき、暗闇の恐怖はロウソクで解消されます。でも、不安は続きますよね。「ここどこ?だれかいるの?なにが出てくるの?」、とね。その先がどうなっているかは、ロウソクではわからないのです。
なにを自分が恐れているのかわからない。だから不安は生まれる。

今回の新型ウィスルが引き起こしたこの状況で、「仕事」「生活」「感染」など、そりゃもうたくさんの不安が生まれています。そして、「未来が見えない」が世界共通の不安を的確に表現しているでしょう。
「苦しむかもしれない。そんな不安であなたはすでに苦しんでいる」。
我が師モンテーニュの言葉です。
「◯◯かもしれない」。◯◯には、無数の言葉が当てはまります。感染するかもしれない。仕事がなくなるかもしれない。貯金がなくなるかもしれない。そして死んでしまうかもしれない。
間違ってはいけないのが、この不安の原因をなにか(だれか)に特定し、そこに怒りやイラつきをぶつけてしまうこと。それは悪行、自らを孤立させ自らの首を締める悪行です。

「かもしれない」は、ぼくたちの思考に宿るメカニズムなのです。「かもしれない」があるからこそ思考は可能になります。すべてが決定されていると知って、どんな思考ができますか?
だから、不安なんてなくらない。まずここから、始めませんか?
すると、不安にもいくつか種類があることが見えてくるはずです。
今日明日ではどうにもならない不安もあれば、今日の一歩を決めてくれる不安もあります。

「感染するかもしれない」、だったら感染させないようにしましょう。
「これまでの生活ができなくなるかもしれない」、だったら、これまでの生活を見直しましょう。