迷いを整える。
迷いを断ち切る!のではなく、迷いを整える。
コロナとAIがきっかけで、僕たちはこんな問題にさらされていますね。
「人間とは?」
さて、この答えに「迷い」を使って答えてみましょう。

「迷いとは、人間の証である」

さて、哲学者は、答えも用意しています。
「人間とは、関係の生き物である」
つまり、「迷いは関係から生まれる」のです。
コロナ単体では、問題になりません。
人間と関わるから問題になります。コロナには迷いはありません。
AIとは?は問題になりません。人間がAIとどのように関わっていくのかが問題になります。AIは迷いません。ただ、スペックが低くて最新事情についていけてないだけです。

ここで、迷いを二つに大別してみましょう。
一つは、自らの身を縛る迷い。身を重くする迷いともいえるでしょう。
もう一つは、自らの身を整える迷い。こちらは、身を軽くする迷いですね。
例えば、コロナとの関係における迷いを考えましょう。
コロナをなくす!これは自縄自縛の迷いになりませんか?
誠実な研究者たちが教えてくれます。ウィルスは人間とともにあることを。ウィルスがなくなる、ということは人間もなくなることなのです。
もし、「コロナをなくす」に囚われてしまったら、「コロナがある」状態では全く動けなくなってしまうでしょう。
AIがない時代に戻る!これもまた、自縄自縛の迷いになりますよね。
AIを生み出した人間を、映画のように抹殺するのですか?でも「ありなし」の囚人は、排除抹殺の思考をするのです。
AIは迷いません。そして生み出すこともできません。
AIには、「AIとは?」なんていう懐疑は生まれません 。
AIの世界には、「ありかなしか」しかありません。
でも、人間はどうでしょう?
「人間とは?」という問題には、答えはありません。だから、僕たちは迷います。でも、この迷いに対して唯一無二の答えが「ある」と考えると、迷いによって自分の首を絞めてしまいます。
自分が排除抹殺の対象になってしまいます。

「迷いを断ち切る!」ということなら、自縄自縛の迷いを断ち切る、ということなのでしょう。
最大の自縄自縛は、「迷いをなくす」という迷いなのです。
「迷いから目が覚める」と言われますね。
「迷いから目が覚める」ということは「迷いを正しく見られる」ことなのです。
続きは次回に。
浅草でも「てらてつ」始まります。
てらてつに参加してみませんか?
会場は東京は港区三田の龍源寺さんです。

鎌倉でも、てらてつを開いています。略してかまてつ。
会場は、建長寺塔頭の正統院さんです。

浅草でも「てらてつ」始まります。略して「あさてつ 」。でも、朝にやる哲学会ではありません。
第二日曜、時間は午後3時からです。
