佐野足利に思う。
コロナを経て、改めて「場」というものを見直すべきだ。

「場」と「空間」の違いは?
空間は、抽象概念である。
そこに、どのような人が存在しようとも、そこに猫がいてニャーニャー泣いていても、空間は変わらない。
そこに居る猫は、居ないものとされる。無論、猫だけでなく人間もそうだろう。

場は具体的身体的なものである。
ある時点で赤ちゃんが泣き始める。すると場は一変する。
カラスが鳴いているのか?鶯が鳴いているのか?それによって場は変化する。
葉が一枚落ちれば、場は変化する。
無論、場には「自分」も居る。場は自分抜きでは語れない。
同じ場は二度と現れない。同様に、自分もまた二度と現れない。
佐野足利のお寺で、改めて感じたことは、「場」を大切にしていこうということだ。
そこに南天がある場。
晴天の下の場。
十月桜が咲いている場。
そこに集う人々。
その場を満たす空気。
その空気を吐いて吸う自分。

一期一会とは、場にも通用するだろう。
「場」は、バーチャルでは感じられないものだ。
大竹は鎌倉や東京で哲学教室や作文教室を開いています。
また、思考塾というAI時代を生き抜く子育ての場も設けています。
東京では、港区三田、台東区浅草で開いています。


鎌倉でも、てらてつを開いています。略してかまてつ。
会場は、建長寺塔頭の正統院さんです。
