「老いた人間とは、老いを苦しんでいる若者ではない。死んだ人間とは、死んでいる生者ではない」
アランには、こんなスマートかつ鋭い金言もあります。
老いることが不安ですか?死ぬことが不安ですか?
「不安の原因はわからない」。一般的に、このメッセージは批判的に使われます。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
不安はしばしば靄に喩えられます。「もやもや」の靄ですね。
でも、「不安を感じるたびに正体を暴くまでは、一歩も動けない」では大変です。「幽霊かも?」と思うたびに立ち止まって…枯れ尾花かどうか教えてくれる誰かを待つ…。
そんな待機主義になっては元も子もありません。
不安はもやもやのままにしておく。これが極意。正体を暴かない。これが極意。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
怖い怖いと思っているとありもしないことが不安になる。でもこの歌には、「だからどうする?」がないですよね。「だから怖がるな」では解決になりません。スタート地点に戻るだけ。
不安になるのは、もうしょうがない。
アランならこんな時、なんとアドバイスするでしょうか。単純です。
「そっちを見るな。歩くことに集中しましょう」
こんな助言になるでしょうか。
不安なんて誰もが感じる。だったら不安とガブリ四つにならないで、別のことに集中すればいいんです。
一歩一歩、歩くことに集中しましょう。丁寧に丁寧に。しばらくしてふと振り返ってみれば、幽霊などいなかったことに気づくでしょう。
「後から」気づけばいいんです。
さて、次回はラスト。
東京で哲学教室や作文教室を開いています。
また、思考塾というAI時代を生き抜く子育ての場も設けています。
東京では、港区三田、台東区浅草で開いています。
あなたも哲学対話を楽しみませんか?