では、このように不安が大きくのしかかってくる時代に、私たちには健やかな安心した人生は不可能なのだろうか。
可能である。
「我々は価値のあるものをよしとしているにも関わらず、なぜ価値があるのかの探求を課していない。しばしば認められるこの間違いが引き起こす結果は深刻だ。自分が本当に得たいと思っているものを欲すること。これが人生の極意である」
まず、アランのこの言葉から始めよう。
「やりがい」とか「安定」とかの判断基準は基準でしかなく、人生の価値にはならない。
「なぜその人生を選ぶのか?」と聞かれて、その価値を答える。だが、それは自分自身の答えだろうか?その答えが、全く別の意味を持つことを考えられないだろうか?
同じ理由が、状況が違えば、順風にも逆風にもなるのだ。
そもそも、人生に価値を与えないことが大切である。
苦しむに値する人生もないし、苦しむに値しない人生もない。
極論では、人生に価値はない。死ぬときに、「生き切った!」と目を閉じられればいいだけだ。目を閉じるのは、誰だろうか。自分で閉じるのだ。
では「自分が本当に得たいもの」をどのように見つければ良いのだろうか?
続きは第四回で。
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